- 狐の面に隠された王母の血筋の伏線
- 子翠と子昌に共通する色覚異常の意味
- 猫猫が託された子の一族と蘇生薬の真実
薬屋のひとりごと第43話「祭り」では、猫猫が辿り着いた“狐の里”で開かれる神秘的な祭りが描かれます。
この祭りでは、狐の面や色の使い方に独特の風習があり、これまでの物語で語られた「赤と緑の色の区別がつかない」という伏線が回収されていきます。
本記事では、狐の里と王母の伝承の関係、子翠(楼蘭)や子昌が見せた色覚の特徴、そして“王母の血”の秘密について丁寧に解説します。
狐の里の祭りが意味する軟禁と通過儀礼
猫猫が辿り着いたのは、後宮から遠く離れた森の奥にある“狐の里”と呼ばれる閉ざされた集落でした。
そこではちょうど祭りが行われており、猫猫は面をつけて参加するよう子翠に促されます。
一見自由に動けているようでありながら、その実、猫猫は里の外には出られない“軟禁状態”に置かれているのです。
この祭りは単なる娯楽ではなく、里に属する者たちにとっての通過儀礼のような意味を持っていました。
狐の面をつけること、社に向かって歩くこと、そして面の装飾に赤や緑を入れる作法は、ただの装飾ではなく、“ある特定の血筋”にまつわるしきたりを意味しているようです。
猫猫はその雰囲気に違和感を覚え、あたかも見せ物のように迎えられながらも、警戒を怠りません。
子翠の表情や村人たちの態度からは、猫猫をもてなすというより、“選ばれし者”が立ち入ってよい場所に来てしまったような空気が漂っていました。
これは単に祭りに招かれたのではなく、猫猫がある種の儀式の対象として扱われている可能性を示しています。
その異様な雰囲気の中で、猫猫は自らの置かれている立場を静かに探ろうとしていたのです。
色覚異常の伏線が子翠と子昌で明確化
狐の面に施された装飾は、一見すればただの意匠にすぎないようにも見えます。
しかし猫猫は、その色使いにある重大な違和感を覚えます。
子翠が用いたのは、本来“赤”で描くべき模様に対して“緑”を用いた面。
これは単なる趣味ではありませんでした。
かつて語られた「茘(れい)の国の成り立ち」や「王母伝承」で語られた色覚の異常──赤と緑の区別がつかない、あるいは逆に認識が異なるという特性を示すものだったのです。
つまり、この面の色選びは偶然ではなく、“その血”を引く者であることの自己表明とも言えるものでした。
さらに重要なのが、子翠だけではなく、弟の子昌にも同様の色覚的異常の兆候が描写されている点です。
以前の回で、彼が葡萄ジュースを手にした際に、その色に反応しなかったこと──つまり、紫や緑が判別できない、あるいは曖昧に見えているような素振りがありました。
これは視覚の異常というだけでなく、王母の末裔にみられる特有の“色認識の特性”として、物語中に張り巡らされた重要な伏線と考えられます。
猫猫は薬師としての観察眼でそれを敏感に察知していました。
祭りという非日常の中であっても、彼女は環境の些細な変化、色、反応、言葉遣いにまで注意を払っていたのです。
だからこそ、狐の面の模様が“緑”で描かれていたことに反応し、その意図を読み取ろうとしたのでした。
つまり、この第43話ではそれまでの何気ない伏線が見事にリンクし、色の違い=血筋の違いというテーマが物語の表層に浮かび上がったのです。
子の一族は王母の血を継ぐ存在なのか?
祭りの場で明らかになる“色”に関する違和感。
それは単なる偶然ではなく、子翠(楼蘭)や子昌の持つ“血の特徴”を示すサインだった可能性があります。
この違和感の根源には、かつて語られた茘の国の成り立ち──「西からやってきた王母」という伝承が深く関係しています。
この王母は、色の認識に独特の偏りを持っていたとされており、赤と緑の違いを見分けるのが困難だったという言い伝えがありました。
その特性は長い年月を経てもなお、一部の子孫に遺伝的に残されていると考えられており、“色覚の異常”こそが王母の末裔の証とされていたのです。
子翠の面の彩色や、子昌の振る舞いは、まさにこの特性を体現していると言えるでしょう。
さらに注目すべきは、この“狐の里”そのものが、かつて王母が移り住んだ場所、あるいはその子孫が暮らす地である可能性があることです。
祭りでの狐の面の“赤と緑の彩色”は、見た目の美しさではなく、色覚の有無を確かめるための試金石として機能している可能性があります。
これはつまり、色の違いを識別できるかどうかで、血の純度や出自を見極めているということです。
そういった視点で見ると、子翠が猫猫に祭りを見せた意図も、ただの親切や慰めではなかったのではないかと思えてきます。
もしかすると、猫猫自身の血筋を確かめるための“試し”でもあったのではないでしょうか。
祭りの裏に潜む研究と陰謀の気配
幻想的な狐の面、神秘的な祭囃子、そして森に響く静かな祈り──。
一見すれば、狐の里の祭りは素朴で信仰深い村の年中行事に見えます。
しかし猫猫の目に映ったのは、それとはまったく異なるもうひとつの“真実の顔”でした。
それは無数の薬草、動物実験の痕、精緻な調合器具、そして“黄泉がえりの薬”と呼ばれる仮死状態からの蘇生薬。
この薬は、子の一族の子供たちを守るため、翠苓と子翠が選んだ手段でした。
一時的に仮死状態にして死を偽装し、その後安全な環境で蘇生させる。
しかし、それを実現するには、高度な薬学知識と冷静な判断力が必要。
そこで選ばれたのが猫猫。
誠実な薬師である彼女に子供たちの命を託すため、里に招かれたのです。
同時に、猫猫は壬氏暗殺未遂事件に使われた“飛発”=火薬式の銃器の設計図と現物にも遭遇します。
この里が軍事技術と禁薬の拠点であり、異国の特使や女・神美との取引の舞台でもあるという、政治的陰謀の臭いが濃厚に漂っていました。
まとめ:薬屋のひとりごと第43話「祭り」が暴く血と色の伏線
薬屋のひとりごと第43話「祭り」は、これまで張り巡らされてきた多くの伏線を静かに、しかし確実に回収する重要な回となりました。
赤と緑の色覚の差異、狐の面の模様、子翠や子昌の色の認識のズレ。
それらはすべて、西方から来た“王母”の血が今もなお受け継がれていることを示しています。
猫猫は、自らの知識と倫理を買われて子供たちを託され、
同時に、国家の裏で進む軍事的陰謀の一端にも触れてしまったのです。
色の違いという小さな違和感が、血と命、そして国家を揺るがす真実へとつながっていく──。
第43話は、静かで幻想的な祭りの描写の中に、張りつめた緊張と濃密な情報を詰め込んだ一話でした。
この記事のまとめ
- 猫猫が連れられた先は狐の面をつける
“祭り”の里 - 狐面の模様が示す王母の血と色覚の伏線
- 子翠と子昌に共通する色の識別異常
- 王母の血を継ぐ「子の一族」の存在が示唆
- 祭りは通過儀礼であり選別の意味も持つ
- 猫猫は黄泉がえりの薬を用いた救済の鍵
- 飛発の存在で国家的陰謀も同時に示される
- 幻想と緊張が交錯する重要な転換回
コメント